森下 雄一郎
生年月日:1977年6月20日
| 1997年6月 | 単身渡米 | 高校卒業後、日本では全く実績もない中、米国スラム街のコートに渡る。 |
| 1998年10月~2000年8月 | ニューハンプシャー工科大学 | 単身渡米後、米国の大学からスカウトを受ける。 |
| 2000年9月~2001年8月 | タウソンステイト大学 | 日本人として初となる全米大学優秀選手を獲得 当時の「KDD」のCMに起用され、話題となった。 |
| 2001年10月 | GBA(アトランタ ムース)からドラフト1位指名 | 米国プロバスケマイナーリーグ日本人としての初のドラフト指名 |
| 2001年11月~2002年3月 | EBA(デラウエア エクスプレス)と契約 | 米国プロバスケマイナーリーグ日本人としての初の契約 |
| 2002年4月~2002年7月 | USBL(ブルックリン キングス)と契約 | 日本人としての初契約もあり、TBS系列の「情熱大陸」に出演 ※ニューヨークにて密着 |
| 2002年8月~2002年9月 | 米国最大ストリート大会WEST4THにてプレイ | 日本人としての初となるコートに出場 |
| 2002年10月~2003年3月 | NBDL(ノースチャールストン)からドラフト指名 | 「NBA」の直轄リーグから、日本人として初めてのドラフト指名を受ける。 |
| 2003年7月~2003年9月 | SPL(カリフォルニア サーフ)と契約 | 世界最高峰リーグ「NBA」と直轄している夏のリーグに出場 |
| 2003年10月~2004年3月 | ABA(ニュージャージー スクワイヤーズ)と契約 | 米国プロバスケマイナーリーグ同チームで2年目の契約更新を交わす。 |
| 2004年7月~2004年9月 | SPL(カリフォルニア サーフ)と契約 | 世界最高峰リーグ「NBA」と直轄している夏のリーグに出場 |
| 2004年10月~2005年3月 | ABA(ニュージャージー スクワイヤーズ)と契約更新 | 米国プロバスケマイナーリーグ同チームで2年目の契約更新を交わす。 |
| 2005年7月~2005年9月 | NBA(ダラス マーべリックス)の夏キャンプに出場 | 世界最高峰リーグ「NBA」のサマーキャンプに参加 |
| 2005年10月~2006年9月 | 「AND1」と、アジア人として初の契約を交わす | 世界最高峰チーム「AND1」と、アジア人として初となる契約を交わした。 |
| 2006年10月~2009年8月 | 「AND1」と4年連続の契約更新 ※2009年に引退 | 1軍契約を交わし、4年に渡り、世界各国を周り、プロ選手として活躍した。 |
| 2009年6月 | SENDto2050プロジェクトを設立 | 現役時代から、教育に関心を持ち、日本をはじめとする、世界各国の教育現場を見てきた。そして、第2の人生として選んだ、教育プロジェクトを始動。 |
代表,森下雄一郎がバスケットボール一つで過去12年間、世界各国へ挑戦し続けた中で、様々な人種の方々と、互いに家族と呼びあえる関係を築いてきました。
その中で、本当の国際交流とは英語を話せることではなく、自身のルーツに誇りを持ち、互いの違いを認め合い、「魂」の共鳴が必要だということを学び、肌で実感してきました。
世界各国を周り、帰国してから日本全国の教育現場を渡り歩き、今の日本の教育現場に足りていないと感じた、「徳育」と「世界規模での育成」この2つが、必ず、40年後の日本を世界規模で支えていくことになる、「今」の子ども達に最も必要な「人間教育」だと痛感しました。
2050年。40年後には、日本の人口が1億人をきり、約1000万人以上の移民を受け入れざる得ない状況が訪れるであろうと言われています。その時代を担うことになるのは、今を生きる子ども達です。
しかし、今の日本の公教育機関の中では、40年後を見据えた教育はされておりません。
20年後、40年後の時代の変化に、対応していける日本人育成が、今の日本に最も必要な一つだと痛感し、2009年春に、2050年へ向けた、この【SENDto2050プロジェク】をスタートさせて頂きました。
そして、今、このプロジェクトは、近畿2府4県の公教育機関との連携が決定し、アジア主要国での実施も決定。
10カ年計画として、日本全国の公教育機関と、全世界の公教育機関の「懸け橋」となるべく、活動をさせて頂いています。